私が知る限り、葛を主題にした本というのは、あまり多くはありません。
特に小説に関しては、ほんの数冊程度です。 と思います・・・
その中の一つ、谷崎潤一郎の著書「吉野葛」を紹介しようかと思います。
紹介といっても、私は小説を読む癖はありませんし
評論することなどできませんが、こんな著書ですよという紹介だけでも
できればいいかな、と思ってますので軽い気持ちで見てください。
まず結論から言うと、この本は葛の澱粉「吉野葛」について
書かれたものではありません。
内容としては、谷崎潤一郎は永遠の理想の女性は母であると
強く思っているようで、この本も母への強い思慕の気持ちが綴られています。
この小説は昭和6年に「中央公論」という雑誌に掲載されたものです。
著者が20代の頃の物語で、学生時代の友人と吉野の地を旅しながら
吉野の歴史とともに、母への思いを表現しています。
ここで、小説を読み著者の心を感じることが苦手な私は
なぜ、この小説のタイトルが「吉野葛」なのか明確な答えがでていません。
それっぽい部分は2つあるのですが・・・
①基本的には著者の母への思慕を表現した小説なのですが
文章的な内容のほとんどが、学生時代の友人が著者に語った母を思う気持ちです。
その中で、友人の思いを表現するのに「うらみ葛の葉」という言葉がでてきます。
調べてみると、これは人形浄瑠璃、および歌舞伎で使用されているらしく
葛の葉という名前の狐が主人公の物語で、詳しく説明すると長くなるので
また別の機会にしたいと思いますが、内容を一言でいうと
著者の気持ちと同じく、やはり子が母を思う思慕を表現したものです。
②そして小説の後半に、友人の母親の生家が吉野町の国栖(くず)だと書かれています。
その家は「紙漉き」を生業としているのですが、文章の一説に
「おえいは日々雪のふる山に葛をほりに行き候」とあります。
おえいとはこの家の娘の名前です。
この2つが葛について触れている部分ですが、どちらもさらっと流れているように
感じる部分ですので、タイトルになるとは考えにくいと思っています。
著者は母への思慕を表現するとともに、吉野の歴史も綴っています。
もしかしたら、当時から「吉野葛」という名前が多くの人に知れ渡っており
この物語の舞台である吉野を連想させるのに「うってつけ」だったのでは?
なんてことも考えましたが、結局私なりの結論はでてないのが現状です。
皆様、もしお時間がありましたら一度ご朗読いただき
なぜ、「吉野葛」なのか?
考えてみてください。